以下はリリースより転記
【ウイスキー事業への再挑戦】
埼玉県羽生市の株式会社東亞酒造は、いつか再挑戦したいと思っていた休止している自製モルトウイスキーの蒸溜を2021年2月から復活させるべく、この度蒸溜所(羽生蒸溜所)の建設を進めております。
休止前に自製モルトウイスキーを蒸溜していたポットスチルの図面をもとに、全く同じポットスチルを製作し、羽生蒸溜所を稼働させ、羽生蒸溜所製モルトウイスキーを復活致します。
【東亞酒造とウイスキーの歴史】
株式会社東亞酒造は、1946年にウイスキーの製造免許を取得し、ウイスキーの製造販売を開始しました。
当初は輸入したモルトをブレンド・樽貯蔵して販売しておりましたが、1980年にはポットスチルを導入して自製モルトウイスキーの製造にも取り組んでおりました。
しかし、ウイスキー市場の縮小の波を受け、2000年にはウイスキーの蒸溜をやめ、蒸溜所としての機能を停止しておりました。
【事業再生への取り組み】
ウイスキーの蒸溜を停止したころは、社業全体が苦境に立たされておりました。
その後2004年に、事業再生を図るべく日の出ホールディングス株式会社の傘下に入り、再建に取り組んで参りました。
この頃、事業再生を主眼に考え、苦渋の決断ではありましたがその時保有していた自製モルトウイスキーの原酒を手放すことを決意し、元の経営者にお譲りすることに致しました。
【事業再生の成果】
事業再生に邁進してきた結果、本業の清酒製造では全国新酒鑑評会で金賞を受賞するまでに至りました。
技術力を磨いたことにより得意先からの信頼も回復し、何とか経営基盤が安定して事業再生への成果が見えてきましたので、この度蒸溜所の建設に至りました。
これからの株式会社東亞酒造のウイスキー事業に対しまして暖かいご支援を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
マニアの方は知ってて当然というくらいの話ですが、詳しいとは言えない自分のためのメモ。
東亞酒造さんはもともとは、1625年(寛永2年)に秩父で肥土酒造本家として創業した日本酒の蔵元。昭和21年にはウイスキー製造免許を取得し、輸入原酒ブレンドの「ゴールデンホース」を製造。昭和28年から合成清酒の製造を始めており、おそらく自社での蒸溜はこのころから。昭和34年に東亞酒造と社名変更し、昭和37年からウイスキー、焼酎、リキュール、スピリッツの製造と販売を開始。
同社の「あゆみ」では不自然に間が空く30年の間に、ポットスチル導入、清酒四季醸造蔵の完成など景気がよさそうな事柄の一方で、平成12年に民事再生法の適用を申請。厳しかった当時の事情は、創業本家で現在は完全に縁の切れている「イチローズモルト」ベンチャーウイスキーの肥土伊知郎社長の創業ストーリーに詳しい。
会社は平成16年に日の出通商が事業譲受。同年ウイスキー製造休止。同社中核事業のキング醸造「日の出みりん」の原料製造に蒸溜設備が求められたからなのかなと想像できます。そうなると、当時は蔵置料ばかりかかって売れるあてのなかったウイスキー原酒は廃棄する判断も当然といえば当然でしょう。しかし、その後の肥土社長の苦労の末の成功を見ると、会社存続のためとはいえ廃棄を判断したことが一部の愛好家の間で目の敵にされるのも仕方のないところか。しかし当時のウイスキーは本当に売れてなくて、肥土社長が自社蒸溜を始めようかと相談した専門家からもやめておけと止められたことから考えると、それぞれが会社であり経営判断の末だったのだろう。どこかを責めるのはお門違いだと個人的には思うわけですよ。
その後清酒「晴菊」で、モンドはともかくとして関信越局鑑評会で金賞を連続受賞しているところから見れば、お酒に対して真摯に向き合っていると言えるのではなかろうか(当たり前ではあるが)。ゆえに、ウイスキー製造再開・蒸溜棟新設についても、まずはニューポットを口にするまでは期待も不安も保留しておくべきか。
んーでも輸入原酒ブレンドのウイスキーを「歌舞伎」とか言って売ってるのはちょっと引くかもw
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